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アルベロベッロ~アルベンスグスマン

アルベロベッロ
 独特な丸屋根を「トゥルッリ」と呼ぶ。

アルベンス・グスマン
 軍、共産党の支持で1950年大統領選挙に選ばれた。「軍が共産党側についた」《グアテマラ革命》の経過についての理解が不足している。そもそも1931年以来J.ウビコ大統領の「鉄の独裁」がしかれていたが、これが44年6月に学生・市民・労働者のデモ・ストライキで対人、選挙により45年4月にアレバロ・ベルメホ政権が成立したが、大土地所有制度や独占的外国資本の除去には消極的であり、50年11月の大統領選挙において、改革派の軍人が選ばれた。グスマンの最大の功績は52年の土地改革法であったが、これが合衆国のユナイテッド・フルーツ社にも及んだために、合衆国政府は54年3月にカラカスでひらかれた米州諸国会議でグアテマラを批判(反共決議)した。合衆国は国外亡命中のグアテマラ人を支援し、54年6月のグアテマラ侵攻にいたった。この作戦を、合衆国は「PBSUCCESS作戦(ピービーサクセスさくせん)」と呼んだ。その後グアテマラでは1996年から1990年まで内戦を経験する。この過程で、あの《リゴベルダ・メンチュウ》が証言した先住民虐殺も発生した。

アラム語

バビロニア・タルムード『ゲマラ』の言語もアラム語。西アラム語には、パレスチナアラム語があり、東アラム語にはシリア語がある。

 

1256 フラグの率いるモンゴル軍、アラムートを破壊

1836.2.23~3.6 テキサス独立戦争

 

 

アルベド~アルベルト

*アルベド

 物体表面で反射される光の割合をアルベドという。「たとえば、雪の通常アルベドはほぼ1.0であるが、木炭は0.04である」。

*アルベーナ

 ブルガリア黒海沿岸北部の観光保養地。バルナの北東30kmで海水浴場がある。地図をみてみると、黒海西岸諸国の海岸線は、南からトルコ、ブルガリアルーマニアと、ほぼ等間隔に配分されていることがわかる。こうみると、モルドバ黒海に出口を持たず、地政学的に難しい位置にある。

*アルベラ

 アルベラとは、現エルビル。報道ではアルベルが多いだろう。シュメールのシュルギ王からのレキシをもち、《ガウガメラの戦い》で有名だ。このガウガメラは、ガウガメラ平原の意で、アルベラから100km近く離れた平原のこと。アレクサンドロスガウガメラに陣をしいた。「ガウガメラ(アルベラ)の戦い」と表記されるのは、このためである。住民はキリスト教徒、イスラムスンニー派クルド人とが混在する。キリスト教徒はイラクでは少数民族に限られる。

8月以来、数千人のイラク人難民が、クルド自治区のアルビルを経由してヨルダンに流入してきている。

http://www.international-press-syndicate-japan.net/index.php/region/middre-east/2611-iraqi-christians-seek-shelter-in-jordan-after-is-threats-3

*アルベール1世

 ベルギー国王(在位1909~34)として第一次世界大戦で中立宣言したがドイツの侵略を受け、連合国側に立ち参戦。「ベルギーの中立自体は1839年のロンドン条約によってイギリス・フランス・プロイセン・オーストリア・ロシアから保証されていた。(

西部戦線 (第一次世界大戦) - Wikipedia)」。ベルギーを含む低地帯をどの勢力が支配するのかは、イギリスの安全保証に直結する、デーン人の侵攻、ノルマン=コンクェスト、百年戦争以来の問題である。なお、《アルベール2世》は1993年~2013年在位のベルギー国王で、言語戦争(フレミア・ワロニー問題)の際にも、「国家統一の象徴として重要な役割を担った」。現国王は、フィリップ。

*アルベルツス・マグヌス

 ブリタニカ百科事典ではtuをツと読む。トマス=アクィナスも弟子の一人。アリストテレスの注釈だけでなく、ディオニュシオスの注解も施している。これが、弟子シュトラスブルクのウルリヒらを通して、14世紀ドイツ神秘主義の源流となる。

*アルベルティ・バス

 アルベルティ・バスは、「ハイドンモーツァルト、ベートーベンらも用いた」。ドソミソ・ドソミソ・レソファソ・ドソミソの伴奏で有名な、モーツァルトの「ピアノ・ソナタ第16番ハ長調 K.545」にみられる。今でこそあたりまえの奏法なのだが、意外と新しい奏法なのだ。

 

アルビン~アルフィエーリ

*アルビン

 1966年にはスペインパロマレス沖にアメリカの爆撃機が落とした水素爆弾を回収、1986年にはタイタニック号の内部調査したアメリカ合衆国の潜水艦である。アメリカのNOAA(National Oceanic and Atmospheric Administration)と、海軍研究局ONR、国立科学財団NSFが出資する。アメリカ合衆国商務省の下にNOAAを置いたのはニクソン大統領だ。ちなみに、パロマレス米軍機墜落事故は、「1966年1月17日にスペイン南部の上空で米軍機同士が衝突し、パロマーレス集落に水素爆弾4個が落下した事故」。これを下敷きにした映画には、キューバ・グッディング・ジュニア主演の映画『ザ・ダイバー』がある。

*アル=ファーラービー
 ファーラービーはホラーサーンとバグダードで哲学、医学、数学を学び、晩年はアレッポの宮廷でおくった。アリストテレスと新プラトン主義の影響を受けた。
*アルプ=アルスラン
 セルジューク朝第1代はトグルル=ベグであるが、その甥がこのアルプである。ニザームル=ムルクを宰相に抜擢したのも彼である。ニザームルは次のマリク=シャーのときにも宰相を務め、その名「国家の秩序」を授かる。ニザーミア学院や天文台の建設、オマル=ハイヤームらにジャラーリー暦を制定させるなどしたが、当時の国際関係をみるとファーティマ朝との対抗関係に腐心。ニザームルは1092年にネハーバンド近くでアサッシン派に殺された。『統治の書』はペルシア語サン分文学の白眉である。さて、アルプは1071年のマンジケルトの戦いで、ビザンチン皇帝ロマヌス4世を捕らえた人物でもある。ここから第1回十字軍の結成へとつながっていく。アルプは最終的にはカラハン朝との関係が1072年に悪化し、中央アジア遠征中の重傷により、没することとなる。
*アルファロ
 アメリカのカリブ海政策により大きな影響を受け続けたパナマの駐米大使大使、公使をつとめ、1931~32年には大統領に就任した。日本語版Wikiには項目なし。ドイツ語、英語、フランス語、オランダ語ポーランド語、ロシア語、ヨルバ語のみである(英語版も出典に不足の指摘あり)。もちろん、パナマ運河問題にも長年合衆国との関係をめぐって腐心したが、抗議を示すために1947年に辞任した(https://en.wikipedia.org/wiki/Ricardo_Joaqu%C3%ADn_Alfaro_Jovan%C3%A9)。1945年以降は国際連合に関与するようになる。

アルバニアの国旗~アルビノ

*アルバニアの国旗
 昨日アルバニアの国旗が、どうして双頭の鷲なのか気にはなっていたがスルーしていた。どうやら、かつてアルバニアを支配したビザンチン帝国のシンボルを、反・オスマン帝国の旗印として、19世紀後半のアルバニア人作家が復活させたということのようだ。この作家はファイク=コニツァ。1443年にかつてクルヤという町の要塞にこの旗を掲げ、オスマン帝国に抵抗したのだという。しかしこの人物、《アルバニア文学》の項には登場しない。
*アルバユーリア
 トランシルバニア公国の首都アルバユーリアで、1918年、ルーマニアとの統一が宣言された。この地は1599年ルーマニア全土を統一したミハイ勇敢公の拠点でもあった。だがそもそもトランシルバニアとは何か。ルーマニアとどのように違うのか。トランシルバニアの項を後にみることになる。
*アルハンブラ
 アルハンブラの名を持つ都市はアメリカ合衆国にもある。カリフォルニア州南西部にある。Wikipediaに項目が立っていない。ところで、《アルハンブラ宮殿》のあの泉を持つ庭は「ミルトの中庭」というのか。
"現在の名称(ミルトの中庭に同じ)は中央にある池の周りを囲んでいるアラヤネス(ミルト)に因んでおり、その鮮やかな緑色は中庭にある大理石の床の白さと対照的です。また池の中庭、貯水槽の中庭とも呼ばれており、池は34m×7,1mの縦長で、池の両側に備え付けられた二つの大理石の噴水のおかげで豊富な水に溢れています。"(https://www.alhambradegranada.org/ja/info/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%AB%E6%9C%9D%E5%AE%AE%E6%AE%BF/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%BA%AD.asp
*アルビ
 トゥールーズに対して北東に位置する。《アルビジョワ派》の端的な説明。善悪の2原理、「2創造主の存在を信じ、不殺生、菜食主義、私有財産と結婚の否定」など。このような極端な思想が、なぜツールーズ伯の支持を得たのだろうか。ちなみに、このアルビジョワ派討伐のために結成された《アルビジョワ十字軍》を指揮した一人に、《モンフォール家》のシモン=ド=モンフォールがいる。そう、イングランド貴族をまとめあげ、ヘンリー3世に迫り、《オックスフォード協約》を国王に結ばせた人物である。
アルビオン
 グレート=ブリテンの古名。のちイングランドの雅称。「南部海岸の白亜層の断崖の景観」から、「白い国」との異名が生まれたのだという。ノルマン=コンクェストの時分にはすでにアルビオンの呼称はあったのだろうか。
*アルピニア
 この種の一であるゲットウ月桃)は、切り葉に利用されるとあった。そういえば、沖縄の餅(ムーチー)は葉にくるまれているが、これをキフゲットウといったのか。切り葉というのは、
例えば葬式の際の榊など。(http://www.kosuke-ogawa.com/?eid=305、「切り花の輸入をめぐる情勢」『日本農業新聞』連載 2004年12月)

*アルバニア社会党
 言語はPartia Socialiste e Shgiperise (最後の単語のeの上には2つの点)とある。アルバニアではなく、Shgiperiseという呼称が付いていたので調べると、「シュチパリセ」と発音するそうだ。アルバニア語で「鷲の国」を意味し、建国伝説に由来する。

の権力掌握については、よくわかっていなかったところだ。1922年に保守的なゾグ1世が権力を掌握するも、1924年自由主義的な正教司祭・作家のファン=スティリアン=ノリが首相に選ばれた。しかしその後ゾグ1世はクーデターにより政権をダッシュし、1925年に大統領、1928年に国王に即位した。アルバニアはその地政学的な位置から、セルビアとイタリアの指示に依拠する権威主義的な独裁政治に転換した。同時期の東南欧諸国に共通してみられる体制だ。
*アルバニア
 ところでアルバニアの山岳地方に分布するはゲグ族と、南部に分布するトスク族が、アルバニアの1912年の独立を妨げたということは知らなかった。ゲグ族は牧畜、トスク族は農業・商業を営むという。ちなみに、1912年のオスマン帝国からの独立承認は、周辺国とのパワーバランスによって決まったことから、国外には国内の2倍以上のアルバニア人がいるという。